沈まぬ太陽

労働映画

映画紹介『沈まぬ太陽』

御巣鷹山の事故シーンから始まる。1985年の日本航空123便墜落事故。子どもだったが良く覚えている。続いて映画は、60年代前半の労働組合の闘いのシーンが交差する。
主人公・恩地元のモデルとなった小倉寛太郎は実在の人物。日本航空労組委員長として日本航空初のストライキを指導、報復人事で約10年間の海外勤務を強いられた。
日本航空は1953年に半官半民の国営航空企業(ナショナル・フラッグ)として出発した。高度成長に伴い70年には輸送旅客数が約30倍となった。しかし急激な事業拡大に要員体制が追いつかず、労働条件の悪化と安全の危機が急速に深まった。深刻な安全問題を契機に労働組合が結成され、64年に初のスト。報復で4人の役員が解雇され、第2組合がつくられ、露骨な賃金・昇格差別が行われた。

日航は、創設から約20年、死亡事故がない。世界一安全な航空企業と宣伝された。しかし70年以降、死亡事故が頻発するようになる。輸送力の拡大とコスト削減を同時に実行し、会社に異議を唱えさせない組合敵視政策が背景にあった。
1980年代、競争促進と規制緩和は、航空業界にも波及。国鉄分割・民営化を提起した第2臨調は、日航の完全民営化と大合理化を要求した。国際線に全日空が参入し、競争とコスト削減が激化した。そして85年8月、日航ジャンボ墜落事故が発生。520人の生命が奪われた。
映画は、恩地と、労組の盟友で袂を分かち出世街道を進む行天四郎を軸に進む3時間超の長編。現実の日航は2010年に事業会社としては戦後最大の倒産で1万6千人を解雇。整備の海外委託など外注化や非正規化の先頭を進んでいる。

ちば合同労組ニュース 第73号(2016年8月1日発行)より