雇用・労働法制をめぐる安倍政権の攻撃

〈ちば合同労組学習資料〉

雇用・労働法制をめぐる安倍政権の攻撃

ちば合同労働組合 2016/08/24 koyou-housei201608.PDF
このパンフレットは、
【1】労働者が団結して闘うことに展望を示したい。
【2】雇用・労働法制をめぐる安倍政権の攻撃。
【3】労働運動再生の道を示すCTS闘争。
――の3章構成の学習資料のうちの2章の部分を抜粋したものです。雇用・労働法制をめぐる安倍政権の攻撃の全体像を明らかにしたいと考えています。ご活用ください。

◎抜本的・根本的な安倍政権の雇用政策の転換

雇用・労働法制をめぐる安倍政権の攻撃は、本当に歴史的な転換、戦後労働法制の解体をめざす攻撃です。これは日本のみならずいま世界中で起きている問題です。
8月3日の内閣改造で、安倍首相が「次の3年間の最大のチャレンジ」という位置づけで「働き方改革」を提唱し、「働き方改革担当大臣」を新設しました。一億総活躍担当大臣が兼務しています。
安倍首相は記者会見で「最大のチャレンジは、『働き方改革』であります。長時間労働を是正します。同一労働同一賃金を実現し、『非正規』という言葉をこの国から一掃します」と述べています。
そして働き方改革担当大臣のもとに「働き方改革実現会議」も設置し、年度内をめどに、実行計画を策定すると言っています。

◎労働行政の大転換―労政審をまる無視

これ自体が労働行政の大転換です。建前とはいえ、労働問題は、使用者と労働者の利害が対立するので、労働法の改定や労働政策を変更するときには、厚生労働大臣の諮問機関である労働政策審議会(労政審)の審議や調査が必要という慣習・仕組みになっています。
労政審は、公益・労働者・使用者の各代表10人の計30人で組織される三者構成方式を採っています。これはILO(国際労働機関)の原則に踏まえたものです。たとえば最低賃金法には、最低賃金を決めるとき政府は労政審の意見を反映させなければならないと規定しています。労働基準法や職業安定法などにも書いてある。
もちろんこれは建前で、労政審の労働者委員はすべて連合推薦です。労働貴族がちょっと建前っぽいことを言って、多少の歯止めをかける措置がつけ加えて、全体としては承認していく仕組みです。1990年代以降、こういう構図で労働法の後退・解体がドンドン進行したことは間違いありません。
ともあれ「長時間労働の是正」だとか「同一労働同一賃金の実現」を言うならば、厚生労働大臣が労政審に諮問して進めるのが、これまでの通常の流れです。

◎なぜ別の大臣、別の機関をつくって進めるのか

なぜ、わざわざ別の大臣、別の機関をつくって進める体制をとるのか。「働き方改革実現会議」は、16人のメンバーのうち労働者代表は1人だけです。使用者側は2人。残りの13人は安倍首相など閣僚が8人、残りは学者ら5人で構成されます。公労使3者が同数の労政審との違いは歴然です。
竹中平蔵氏なんかが「労政審では議論はまったく前に進まない」「厚生労働省の立場は岩盤規制だ」などと〝正直〟に非難をしていますから、その狙いは明らかです。
厚生労働省は、社会保障制度や労働規制をそれなりに確立したほうが、支配が安定して資本家の利益になるというスタンスが一定ああります。だから、「世界で一番企業が活躍しやすい国」をつくるために雇用や労働法制をぶっ壊せと思っている安倍首相なんかとは考え方が多少違うんでしょうね。結局は、階級的立場・利益は同じだと思いますが……。2012年の政権復帰後の安倍政権は、労政審の骨抜き・無視をかなり露骨にやっています。

◎安倍政権の戦略的な政策形成・実施機関

そんなわけで安倍政権は6月に閣議決定した「ニッポン一億総活躍プラン」だとか「働き方改革」で雇用破壊・労働法制破壊に勝負をかけてきています。このあたりの流れをもう少し遡ってみていきたいと思います。
2012年に政権復帰した安倍政権は、雇用問題・労働規制に関する戦略的な政策形成・実施機関として、「経済財政諮問会議」「日本経済再生本部」「産業競争力会議」「規制改革会議」の4つの機関を駆使してきました。バックの官僚組織は経済産業省です。労働行政の担当である厚生労働省ではなくて経済産業政策が担当である省庁が労働規制緩和を推進する構造になっているわけです。

◎経済財政諮問会議を復活させ、産業競争力会議を新設

まず安倍政権は、経済財政諮問会議を復活させました。
小泉政権時代には、経済財政諮問会議で、「聖域なき構造改革」とか「骨太の方針」などの大枠を決めて、それを各省庁に降ろして制度化させる政治決定の仕組みをつくった。
安倍政権はこれを復活させて、経済財政全般の司令塔という位置づけを与え、「生産性の高い部門への失業なき労働移動」「労働規制改革を進め、新たなフロンティアを切り開く」というような議論をしながら、攻撃の大枠の方向をここで出している。そのうえで具体的な労働の規制緩和の全体像は、産業競争力会議や規制改革会議で議論しています。
日本経済再生本部と産業競争力会議は安倍政権が新設した機関です。日本経済再生本部は成長戦略の策定なんかをしていますね。再生本部で安倍首相は「日本経済再生のためには、産業競争力の強化と雇用政策(の転換)が車の両輪だ」という趣旨の発言をしています。ただひたすら労働者階級への攻撃を展開することが日本資本主義の生き残る道だと言っているわけです。
ここで安倍首相は「成熟産業から成長産業への失業を経ない円滑な労働移動を実現するため行き過ぎた雇用維持型から労働移動支援型の政策にシフトする」ということも言っています。
休業などで雇用を維持する企業に支給する雇用調整助成金(中小企業であれば休業手当の3分の2を助成)と、リストラされた労働者の再就職させる人材ビジネス会社に助成する労働移動支援助成金は予算規模で完全に逆転しました。労働移動支援助成金は、「追い出し部屋」にも助成金を出している(リストラを成功させれば1人につき最大60万円を助成)。リストラに助成金を出している。人材ビジネス会社が何をしているのかは、みなさんも多少は知っていると思います。労働者の雇用のみならず人格まで破壊し、生命まで奪っている連中に助成金まで渡している。

◎ジョブ型社員と解雇ルールを議論

産業競争力会議で注目されるのは、竹中平蔵氏なんかのメンバーですね。ほかには楽天の三木谷浩史氏なんかも入っている。安倍首相はここで「多様な働き方を実現するため、正社員と非正規社員への二極化を解消し、勤務地や職種などを限定した多様な正社員のモデルを確立したい」と言っています。整理解雇4要件などもやり玉に挙げています。
産業競争力会議ではテーマ別会合が設置され、ここで竹中氏が「解雇が有効か無効かの判断(解雇権濫用法理)が司法に委ねられており、企業が躊躇して解雇に踏み切れない。まず解雇はできるのだという制度を前提にしてほしい」という趣旨のことを言っています。
こうした議論の方向性に踏まえて、規制改革会議が、規制改革こそは成長戦略の1丁目1番地という位置づけで審議がなされています。ここで「勤務地や職種が限定されている労働者についての雇用ルールの整備」「解雇補償金制度の創設」「派遣対象業種の見直し」「常用代替防止の考え方見直し」などが提起されました。勤務地や職種が限定されている労働者は「ジョブ型正社員」「限定正社員」と定義されていますね。
規制改革会議にはいわゆる有識者からのヒアリングということで労働法の学者なんかが呼ばれています。濱口桂一郎という労働政策研究・研修機構(厚生労働省所管の独立行政法人:昔の日本労働協会)の統括研究員が報告しています。岩波新書なども書いている人ですが、本当に悪質なんですね。濱口氏は、「今後の労働法制のあり方」と題して、従来の日本型雇用を今後は「ジョブ型雇用」に積極的に転換すべきと主張しています。

◎「解雇は原則可能」と部品型労働力への転換を主張

少し意訳させてもらえば、濱口氏は、日本の労働法はもともとは、安倍政権が目指しているようなジョブ型雇用に対応した法体系だったのだけど、戦後労働運動なんかの力関係の中で、終身雇用や年功賃金制と一体で解雇権濫用法理や整理解雇4要件などの判例法理が確立したんだということを言っています。
現在の法律として言えば、企業が一方的に労働者を解雇することはできません。労働契約法16条には、解雇に関して「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合には、その権利を濫用したものとして、無効とする」と記されています。もともと法律上では解雇を制限する条文はなかったのですが、2003年に労働基準法の改定で明記されました。
戦後労働運動の闘いと力関係、終身雇用などの慣習なども含めて、判例の積み上げで「解雇権濫用法理」というかたちになった。
しかし、濱口氏は、労働契約法16条の解雇濫用規制法理についても、「労働契約法は解雇を規制しているわけではなく解雇は原則として可能なんだ。ただ例外的に濫用が禁止とされているだけ」と強弁しています。
そのうえで、職場や職務が限定されているジョブ型雇用は、その職場だとか職務がなくなれば、それは正当な解雇理由となり、そして欠員が出れば補充される「部品」型労働力なんだと言って、これからの「日本型雇用」は、ジョブ型=部品型雇用に転換すべきなんだということを提言しています。
また解雇の金銭解決については現在でも制度的に可能なんだとして、まずは解雇できるとした上で、「海外の制度では解雇が無効と判断された場合には金銭補償になる」と紹介し、日本でも金銭さえ払えば解雇できるようにすべき、その金額の基準を設定するように提案しています。先ほどの竹中氏の発言を思い出して下さい。まず解雇はできる。そして裁判で解雇は有効と判断されればそれでよし、逆に解雇無効と判断されても金銭を支払えば被解雇者を職場に戻す必要はない、こういう論法です。
濱口氏は、限定社員の〝限定〟という言葉についても、別のところに配転したりすると「限定」されていないことになるので契約違反の使い回しをするな、職務や職場が縮小・消滅したら必ず解雇しろと強調しています。部品型雇用を徹底しろと言っているわけです。
彼は、1995年の日経連「新時代の『日本的経営』」で提起された「高度専門能力活用型」についても、「高度」という余計な形容詞があるから失敗したんだと指摘しています。その〝反省〟に立って、ジョブ型社員とは、高度でなくても、その専門的能力を、その職務がある限り活用するタイプと位置づけるべきだと提言しています。部品型雇用を徹底化しないとダメだと言っています。

◎派遣法の〈臨時的・一時的〉原則を撤廃

規制改革会議では、「限定正社員」か「ジョブ型正社員」か、という呼び名をめぐる論争もあり、ジョブ型正社員という言葉が採用されたようですが、世間では限定正社員の方がよく使われている印象ですね。JR千葉鉄道サービス(CTS)でも「限定社員」という言葉を使っている。規制改革会議では、雇用の要件・手続きを契約で明確化したり、休日や深夜労働の条件を緩和する雇用特区構想や、労働時間法制の規制緩和、解雇ルールの緩和、労働派遣制度の見直しなどが議論されてきました。
すでに派遣法については、ご存じの通り、昨年9月に抜本的に解禁されました。派遣制度は雇用責任・使用者責任を免れる。これは百何十年も労働者階級が闘って資本家に強制してきたことを回避する、もう本当に根本的な雇用破壊の制度です。
戦前は、「人工出し・人貸し業」と呼ばれ、間接雇用が幅広く導入されていた。これが戦後になって職業安定法などで全面禁止になった。労働基準法もこれを禁止することを強く念頭に置いている。中間搾取・強制労働の禁止、刑事罰を規定している。
だから1987年に派遣法が制定されたときも、「派遣という働き方は、あくまで臨時的・一時的な雇用であり、例外である」という位置づけ(言い訳)でした。言葉でいうと「常用代替の防止」です。
これを「もう非正規労働者が4割を超えている現状で派遣だけを規制するのは意味がない」「正社員だけが守られているのは不公平だ。正社員と派遣も競争すべきだ」「常用代替防止という政策自体が妥当性を失っている」という理屈で廃止した。「派遣は臨時的・一時的に限る」という原則をなくしたので、各企業は派遣を永続的に利用できるようになった。他方で派遣労働者は同一の派遣先においては上限が3年になった。まさしく部品・消耗品のごとく扱う。こういう派遣法の解禁が行われた。

◎安倍首相をして「同一労働同一賃金」と言わしめるものは何か

安倍首相が1月の施政方針演説で「同一労働同一賃金」を打ち出しました。ちょっと唐突な印象を持っている人も多いかと思いますが、安倍政権の目玉政策として急浮上しました。ウィキペディアで調べてみると、「同一の仕事(職種)に従事する労働者は皆、同一水準の賃金が支払われるべきだという概念」と書いてあります。
「同じ仕事しているのに非正規は正社員の半分の賃金だよ。同一労働同一賃金、いいじゃないか。大賛成」なんて思うかもしれません。安倍首相も「日本から非正規という言葉をなくす」という文脈につなげて同一労働同一賃金を出しています。参院選などでも非正規の格差是正の議論のように演出していました。
実際のところ、連合や全労連は批判もしていますが「同一労働同一賃金」そのものには賛成。連合ではUAゼンセンが推進の急先鋒です。「しんぶん赤旗」は一応「雇用を破壊し、低い方に合わせる狙い」という見出しなんですが、なぜだか記事の結論が、よりよい(よりまし?)同一労働同一賃金の法制化が必要となっている。

◎なぜ派遣法改悪の対案が同一労働同一賃金法なのか?

実は昨年、派遣法の改定の数日前に、「労働者の職務に応じた待遇の確保等のための施策の推進に関する法律」、通称「同一労働同一賃金推進法」ができています。これはもともと、野党が政府の派遣法改正案に対する対案として提出したもので、昨年6月に与野党による修正を経て衆議院を通過し、9月に成立したものです。
なんで「同一労働同一賃金推進法」が派遣法の対案になるのか? ようするに、派遣労働の全面的な解禁をするかわりに、派遣労働者と、派遣先の労働者との待遇について均衡がとれるように配慮してくれという内容なんですね。
法律としては、そうとう修正されていて効力はあんまりない法律なんですけども、派遣労働の全面解禁のセットで出した意味です。ようするに雇用を劇的な破壊とセットで同一労働同一賃金をやるということです。産業競争力会議や規制改革会議の議論と完全に地下水脈でつながっている。「対案」ではなくて派遣の全面解禁とセットなんです。
安倍首相の「同一労働同一賃金」論は、「限定社員」「ジョブ型社員」(部品型労働力)、「金銭解雇制度」(解雇自由)、「最低賃金1000円」などと完全にセットメニューです。これまでの雇用をもう抜本的に解体して、工場や店舗が閉鎖になれば解雇OK、業務が縮小すればすぐさま解雇できる。取り替え可能な消耗部品のような労働力をつくる。こういうこととセットで同一労働同一賃金を出している。

◎管理職以外は全員時給制のコストコ

アメリカ発祥の「コストコ」という会員制倉庫型量販店を知っていますか。このコストコが全国25店舗でアルバイトの時給を全国一律1250円スタートで募集しています。例えば昨年8月にオープンした「かみのやま店」がある山形県の最低賃金は696円ですから、コストコの時給とは554円の差がある。
だけども募集要項をよく読んでみると、アルバイトやパートは週20~30時間未満のシフト制と書いてある。これだとコストコは社会保険料を支払う必要がない。使用者は、だいたい賃金の15%ぐらいを社会保険料として負担するわけですから、時給1000円なら1150円。コストコはこの負担を免れている。そう考えると実はそれほど高い賃金とは言えない。
そんなわけでコストコでは、管理職以外は全員が時給制です。いくら時給が良くても週20時間ではやっていけない。「私は1日8時間、週40時間働かないと家族を養えない」と労働者が主張しても、そういうことはコストコには関係ない、関心ないということです。「いやうちは週20時間までです」と。このあたりも部品型労働力という発想です。
生活給なんてことを最後的に一掃する攻撃です。もっと言うと労働者が団結して「生きていける賃金を寄こせ」と要求するということを解体する攻撃です。同一労働同一賃金は月給制を破壊して時給いくらで貫徹されていく。最低時給のアップもこれとセット。必要な時だけ、必要なところに部品のように雇用をはめこむ。雇用のジャストインタイム(トヨタ生産方式)です。働き方改革とか同一労働同一賃金という表現で安倍政権が始めようとしている攻撃は、かなり強烈というか、法律を超えた、戦後的な雇用や賃金の破壊に踏み出そうとしているとみないといけない。
竹中平蔵氏は「同一労働同一賃金を言うなら正社員をなくしましょうと言わなきゃいけない」と語っています。正社員をなくす、終身雇用や年功賃金を最終的に一掃する。これが安倍首相の「非正規という言葉をなくす」の意味です。

◎労働時間規制を解体する高度プロフェッショナル制度

「高度プロフェッショナル制度」は、残業代ゼロ制度とよく言われていますけども、「労働時間規制の適用除外」と言ったほうがよいのではないか。
「高度プロフェッショナル制度」が導入されれば、労働基準法が定める法定労働時間や休憩・休日の規制が適用されなくなる。さらに、時間外・深夜・休日労働の割増賃金も発生しなくなる。8時間労働制の最後的な解体です。労働時間を規制するという考え方自体を葬り去ろうとしている。これも強烈な攻撃です。
資本主義の生産様式というのは、資本家が労働力を購入して、買った労働力を資本家が使用して生産を組織する。したがって資本家は自分が代金として支払った賃金以上に労働者を働かせることを最初から意識しています。だから労働時間ということが強烈に意識されます。これは資本主義の時代が初めてです。
もっと言うと、そもそも時間という感覚自体が資本主義の産物です。工場とかオフィスに労働者を集めて、資本家の監督・監視のもとで働かせる。始業時間と終業時間を区切って時間を管理して1分でも多くみっちり働かせる。資本主義の初期は、時計は大変高価で労働者は時計を持っていない。いまみたいに腕時計なんてないから監督官は時間をごまかして労働者を長時間働かせた。古代の奴隷や中世の農奴はMAXでも日の出から日没までですが、資本主義の時代に入って、資本家は労働者を1日15時間とか18時間とか、あるいは24時間リレー制で昼も夜も働かせた。

◎労働時間をめぐる攻防は資本主義の本質にかかわる

労働時間をめぐる資本家と労働者の争い、階級闘争というのは、資本主義の本質的にかかわる問題です。そもそも生産手段は誰の所有なのかという争いを背景に持ちながら、労働者は1日に何時間を働くのか(働かされるのか)という標準労働日をめぐる闘争が展開されてきた。マルクスは、『資本論』第1巻第8章「労働日」で、「資本主義的生産の歴史においては、労働日の標準を確立することは、労働日の制限をめぐる闘争として、総資本すなわち資本家階級と、総労働すなわち労働者階級とのあいだの闘争として現われる」と書いています。
マルクスは、資本家ができるだけ労働時間を延ばそうとするのは、それによってできるだけ多くの剰余価値を獲得しようとするからである、これに対し労働者階級は、標準的な労働日(労働時間)を要求するのだ、と言っています。

◎世界最初の工場法(労働法)は労働時間規制

世界最初の労働法は、1833年に制定されたイギリスの工場法ですが、国家によって労働日を制限したものです。マルクスは、「(工場法は)資本の無制限な搾取への衝動を抑制するものである」と書いている。
それほど工場での労働者の酷使がひどかった。あまりに過酷で労働者の平均寿命が30歳に届かない。英国の労働者は、あまりに不健康で貧弱なため、農業国のフランスの兵士と比べると体格差が歴然で戦争になれば負ける、だから兵士になりうる労働者を維持することは国家の利益でもあったのだ、とマルクスは指摘しています。
といっても、1833年の工場法は、9歳未満の児童労働を禁止し、9歳?18歳未満の少年労働を週69時間に制限するにすぎないものでした。
マルクスはこう書いています。「資本家は、労働者が体力を回復するために必要な睡眠を圧縮する。資本は労働者の寿命を気にしない。資本が関心を持つのはもっぱら一労働日に働かすことのできる労働力の最大限だけだ」

◎標準労働日―8時間労働制をかちとった労働者階級の闘い

こうして労働者階級は、標準労働日の制定を求めて立ち上がりました。労働者の長い闘いをへて、資本家は標準労働日の制定にしぶしぶ同意したのです。8時間労働制が確立されたのは、いまから130年前の1886年にアメリカの労働者が8時間労働制を求めてストライキに立ち上がったことが起源です。5月1日メーデーの始まりです。
シカゴやニューヨーク、ボストンなどで1万5000を越える工場の労働者38万人以上がストライキに入りました。「エイト・アワーズ(8時間労働の歌)」の歌詞は有名ですね。「仕事に8時間を、休息に8時間を、おれたちがやりたいことに8時間を!」と歌った。このストライキで20万人あまりの労働者が8時間労働制をかちとりました。
しかし、資本家は8時間労働制が広がることを恐れ、警察権力を使って反撃にでました。このストライキの2日後の5月3日にシカゴで機械労働者4人が警察官に射殺され、翌4日にはヘイマーケット広場で労働者の集会に何者かが爆弾を投げ込む事件まで起きた。これを契機にデッチあげ事件が次々にねつ造され、労働組合の指導部を犯人に仕立てて投獄し、絞死刑にしたのです。
それでもアメリカの労働者は負けなかった。1890年5月1日に再度ストライキで8時間労働制を要求して闘うことを決定した。ちょうどフランス革命百周年を記念して、エンゲルスなどパリに集まった世界の社会主義者と労働組合の指導者は第2インタナショナルを結成し、その結成の場で、1890年5月1日に、アメリカの労働者と連帯し、世界各国で一斉に集会やデモをすることを決めた。
これ以降、毎年5月1日に世界各国でメーデーが開催されるようになった。そして1917年のロシア革命で、8時間労働制が初めて国の法律として確立しました。
こういう標準労働日(という考え方)、8時間労働制を適用除外にするのが、いわゆる残業代ゼロ法なのです。出発点では、年収が1075万円以上ある労働者が対象です。しかし経団連は、いずれ年収400万円以上ぐらいの労働者を対象にしたいと言っています。米国では約200万円で労働時間の規制がかからない。

◎裁量労働制の大幅な対象拡大

高度プロフェッショナル制度は、労働基準法を改悪してやろうとしているのですが、労働基準法の改悪案には、裁量労働制の対象拡大も盛り込まれています。
高度プロフェッショナル制度が、労働時間規制を適用除外にする制度だとすれば、裁量労働制は、労働時間の規制を実労働時間ではなく、あらかじめ定められた「みなし時間」で行います。何時間働こうとも所定労働時間で働いたとみなす、あるいは一定の残業時間込みで働いたとみなす制度です。所定労働時間8時間に1時間の残業をしているとみなせば、みなし労働時間は9時間。毎日15時間を働いても9時間とみなされます。
この裁量労働制の対象となる企画業務型に、法人向けの課題解決型提案営業などが加わります。これもすごい拡大です。従来企画業務型は、異業種への参入とか新商品にかかわる労働者が対象で数はかなり少ない。対面販売などの比較的単純な定型の営業職以外はほとんど対象になりかねない。

◎労働基準法の後景化を狙う労働契約法

労働法制の問題の最後に、就業規則の万能化の攻撃についてお話します。
安倍政権の労働政策転換の土台にあるのが労働契約法という法律です。この法律は2007年に制定されたのですが、第1次安倍政権が戦後労働法制の転覆を期した労働国会の途中で政権を追われ、福田内閣によって制定された法律です。22条しかない短い法律ですが、この法律こそは「戦後労働法体制」の原理的転換を狙って制定されたものです。
労働基準法は、労働者を保護するため最低限度の労働条件を資本に強制するという性格ですが、労働契約法は労働基準法とはまったく違います。
労働契約法1条にはこう書いてあります。「労働者と使用者の自主的な交渉のもとで、労働契約が合意により成立し、または変更されるという合意の原則」。厚生労働省は「労働契約法は、労働基準法とは別の民事上のルールを定めた新たな法律」と解説しています。
合意の原則。労働者が同意すればどんな労働契約でもOK、先ほどの雇用特区の例でいえば、時給500円でも労働者が同意すれば良いという発想です。これは労働基準法による最低限の労働者保護や、労働組合を法認して集団的労使関係で労働条件を形成することを前提に置く労働組合法などの戦後労働法体制を土台から否定するものです。
労働基準法では、たとえ労働者が自主的に「最低賃金以下とか残業代ゼロでもOK」とか「遅刻したら解雇されても良い」とか契約書にサインしても全部無効です。しかし労働契約法はこういう労働基準法の大原則を転覆する論理で攻めてきている。雇用特区とか高度プロフェッショナル制度とかはその系譜です。
これに関連していえば、労働基準法にも労使協定の規定がものすごく増えている。労使協定は、簡単にいうと「免罪符」の効果を持つ。一番有名なのは36協定。この労使協定があれば労働者に残業させても会社は労働基準法違反にはならない。労使協定は労使自治だとか言っているけど、ようするに過半数労働組合や過半数代表が同意すれば労働基準法は適用しませんよ、ということ。

◎労働契約法の最大ポイントは就業規則の万能化

労働契約法で一番の核心ポイントは、労働契約法は、就業規則改悪による労働条件変更を法制化し、さらに「労働契約の内容は就業規則で定める労働条件とする」と明記したことです。労働契約に対する就業規則の効力を宣言することが最重要事項と位置づけられています。
そもそも労働契約法は〈労使の合意が原則だ〉と第1条で宣言しておきながら、なんで使用者側が一方的に制定し変更できる就業規則に法的効果を与える権限が出てくるのか? まったく不条理で理解できないのですが、一方的に就業規則を変更しても、それは労働者と使用者のあいだで合意した労働契約となるんだというわけです。
だいたい労働基準法では、就業規則について作成の義務(89条)や作成の手続き(90条)は定めているだけで、読んでもらえば分かりますが、手続き規定しか書いていない。多数の労働者を共同で働かせるには、労働条件を公平・統一的に設定する必要があるだろう、もちろん労働基準法や労働協約、あるいは労働契約が優先ですよ、というニュアンスでしかなく、就業規則の効力をどう扱うのかについては労使間の鋭い争点であり、判決や学説も百家争鳴でした。これを労働契約法はウルトラ反動で逆転させた。
就業規則の不利益変更についても、有名な判決がたくさんありますが、従来の判例では「高度の必要性を要する」とされてきました。が、労働契約法はこれを単なる「合理性」にダウンさせました。しかも、仮に裁判などで合理性がないと判断されても、変更後に採用された労働者には、変更された就業規則が提示されているので、それが労働契約の内容になるという法的構成になっているのです。
限定社員・ジョブ型社員も就業規則に書き込めばOK、労働時間規制の適用除外なんかも、労働者が同意すれば最低限の保護もしなくて良いというロジックで強行しようとしているわけです。(了)