高揚するパククネ退陣の闘い

韓国労働運動から学ぶこと

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お隣の国、韓国ではパククネ退陣を求める百数万人規模のデモが4週あまり続いています。08年リーマンショック以来の大恐慌の深刻化は、韓国の政治経済に未曽有の危機をもたらし、韓進海運の経営破綻やロッテ不正資金問題など、韓国の財閥企業を軒並み危機に陥れています。
そうした中でパク政権は、成果年俸制を拡大し、かつ業績評価の低い者は解雇できる「成果退出制」も画策しています。さらには鉄道公社の分割・民営化をはじめ公的部門の大掛かりな民営化を進めています。
これに対し約70万人を組織する民主労総が断続的なゼネストで闘っています。この数十年の世界の歴史で、この規模の労働組合のナショナルセンター(全国組織)が組合員の団結を維持し、ゼネストで闘い続けているのは、画歴史的なことです。

民主労総の源流

1970年、ソウル市内の平和市場の縫製工場で働く全泰壱が若い女性労働者の過酷な労働環境に抗議して焼身自殺したことが民主労総の源流の一つです。
チョンテイルは幼い女工が病気を理由に解雇されたことを助けようとして自らも解雇され、その後、独学で労働法を学び、労働庁や経営者に働き掛け、さらには集会を準備したところ、警察に強制解散されそうになり、ガソリンをかぶって焼身自殺を図り、22歳の若さで息を引き取ったのです。
朴正煕(パクチョンヒ)軍事政権のもと外資を稼ぐ輸出産業の過酷な労働環境はフタをされていました。しかし事件をきっかけに労働者の悲惨な境遇が報道されるようになり、労働運動が活発となりました。
70~80年代、多くの大学生が経歴を偽って工場に就職し、軍事政権下の厳しい状況のもとで非公然的に労働組合を組織化したのです。
1987年、韓国全土で起きた大規模な民主化闘争で全斗煥(チョンドファン)大統領が民主化宣言(大統領直接選挙制など)を出すと、それまで労働組合がタブーだった現代自動車などの大企業で次々と労働組合が結成され、即ストライキとなりました。約3か月で200万人が参加し、数千の労働組合が生まれました。これが1995年の民主労総につながっていきます。

労働運動の可能性

日比谷野音で開催された11・6労働者集会には、民主労総ソウル地域本部や鉄道労組から40人近い代表団が参加しました。11月12日にはソウルでの民主労総決起に動労千葉などから200人以上の訪韓団が参加しました。
パククネ退陣の闘いとその中軸を担う民主労総の存在は、世界の労働運動に大きなインパクトを与えています。
紙面も足りず、多くは書けませんが、職場から闘いと団結をつくる努力、11・6集会のような闘う労働組合の全国ネットワークをつくる努力は、日本で労働組合を再生する道筋をつくるはずです。
そんなことを思わせた韓国・民主労総の存在でした。

ちば合同労組ニュース 第77号(2016年12月1日発行)より