介護労働の現場から〈15-2〉自立できる②

自立できる②
Aさんは入所した日、トイレに案内したらスタッフを突き飛ばして逃げ、それ以来トイレに近づかない。自立しているのに排せつはリハビリパンツとパット対応だ。その交換にも抵抗が強く、Aさんの排せつは大課題になっていた。
私はいきなりトイレに入らず、雑巾を持って手前の廊下拭きをAさんとやった。「花が咲いてるよ」「AさんのTシャツも花が咲いてるね」。認知症の人は聞こえているが返事はしないからスタッフは独り言のように言う。しかし、スタッフが自分に関心を持ってくれて話しかけてくれていることは確実に認識されている。いわば、心の会話なのだ。
トイレの前に来た。〈トイレ〉の札はあらかじめ外してある。「このドアも拭いてみようか?Aさん拭けるかな」。Aさんは負けず嫌い。長女で、自分の進学をあきらめて働き、弟妹たちを進学させることに情熱をそそいでいたことが今の彼女の尊厳を支えている。子どもたちも揃って国立大学に進学させた教育ママなのだ。「…しましょうか」と遠回しの命令をされるのが嫌い。「……できるかな?」と言うと、気が向かなくてもやる。
「おぉ、できたね。では、次にこのガラスを拭けるかな? これはガラス拭きでやるんだよ。泡でるよ」。Aさんは一生懸命、ガラスについた泡を拭いている。中のトイレがみえるからパニックを起こすかも知れない。
「中見えた?」とわざと中をのぞいてみてもらう。トイレだとわかっているのか、いないのか、返事がない。
「中も汚いのよ。いっしょにきれいにしようか」。ドアを開けて、まず、ドアのトイレ側を拭いてもらう。私は便器が見えないようにトイレに腰かける。
「Aさん、私うんちしたくなっちゃった。今やってもいい?」
Aさんが私を見て笑った。「しょうがないね。そこを掃除しようと思ってたんだよ」「じゃ、すぐやるね。私はトイレ早いんだよ。そこで待ってて」。さぁ急いで急いで、やるふりをし水を流す。
「あは、すっきりした。じゃ、トイレの掃除始めよか」。女性の高齢者は長年の主婦経験を持っている。姑の下で手抜きを許されない家事をこなしてきたのだ。「すごいね。Aさん、きれいになったよ。みんなトイレ汚すからね。明日からピッカピカにしようね。すごい、すごい…」。
なんか自立大作戦の一日目はうまく行きすぎ。その後、紆余曲折やムラはあったが、Bさんの床拭き、Aさんのトイレ掃除は彼女たちの日課になった。Aさんは、掃除を始めた一週間後には不完全ながらもトイレで排せつをするようになった。
Bさんはその後、新築の大規模な特養の個室に移り、約半月後に居室で亡くなった。徘徊のため居室から出してもらえず、トイレで溺死という不可解な死因が伝えられた。クイックルを見るたびにBさんを思い出す。(あらかん)