合意を口実に〈労働者性否定〉の動き

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労基法の根幹揺るがす労働者概念めぐる攻防

「労働者」の再定義

 今年1月、厚生労働省の研究会が労働基準法における労働者の見直しを提起する報告書を発表した。これは、誰を「労働者」と認めるかという労働法制の根幹に関わる重大な問題だ。

 「労働者とは誰か——この定義は現実問題として労働基準法の適用、最低賃金や労働時間規制、労災保険や社会保障制度の対象範囲を左右する決定的な基準だ。

 近年、ウーバーイーツなどインターネット(アプリ)上のプラットフォームを介して単発の仕事を受けたり、業務委託契約によるフリーランスが急増している。

 実態としては使用者の指揮命令の下で働き、働く時間や場所もアプリなどで事実上拘束されているにもかかわらず、契約上は「個人事業主」とされることで、労基法上の保護から外されるケースが多発している。

 偽装請負や業務委託の濫用によって、労働時間規制や安全配慮義務が無視され、最低賃金すら保障されない。労災保険の適用を拒否され、事故や病気の際に自己責任を押し付けられる実態は深刻だ。

1985年の「基準」

 労働行政や裁判における現在の労働者性判断は85年の研究会報告を基礎としている。そこでは使用される=指揮監督下の労働」という労務提供と、賃金支払い」という報酬の労務に対する対償性の2つの基準を総称して「使用従属性」が労働者性の中核とされてきた。

 しかし、従来の「時間・場所による拘束」を軸とした判断では実態をとらえきれない事例も増えている。

 上述したようにアプリやGPSによる監視、AI(人工知能)やアルゴリズムによる業務管理といった新しい「指揮命令」の形態も出現している。人間の管理者が指示しなくとも、労働者はアプリの通知やシステムの評価によって強くコントロールされる。

合意で労働者性否定

 厚労省は今年5月、新たな研究会を設置し議論を開始した。第1回会合では「当事者の合意があれば労働者性を否定してよいのではないか」という趣旨の意見が出された。

 これは労働者保護の根幹を覆す極めて危険な発想だ。労働契約における「合意」の多くは、使用者の圧倒的な優位性のもとで取り付けられる。労働者は生活の糧を得るために契約を受け入れざるを得ず、真の意味での自由な選択など存在しない。形式的な「同意」を根拠に労働者性を否定することは、労働基準を骨抜きにする重大な策動だ。

 たとえ労働者自身が「個人事業主」との書面に署名したとしても、その背景には使用者からの圧力や、仕事を失う恐怖がある。こうした「合意」を尊重するとの発想は、まさに労働者保護の放棄に等しい。断じて容認できない。

 ここで労働者性を否定する仕組みを許せば、「合意」の名の下に無権利労働を量産する道を開くことになる。

 現行制度の下では、労働者が自らの「労働者性」を裁判で立証しなければならない。しかし必要な資料や勤務実態の記録はほとんど使用者が独占し、労働者が入手するのは困難だ。そのため裁判は長期化し、立証負担は労働者にとって過酷を極める。こうした不均衡を是正せず、「合意」を理由に労働者性を否定するなど到底許されない。

 労働者性の判断は「労働者が証明するもの」ではなく「使用者が否定できないもの」として転換されるべきだ。

労働者性定義の射程

 オンデマンド就労やアルゴリズム管理のもとで働く労働者は、時間や収入の見通しが立たず、不安定さと過酷な競争にさらされている。こうした人々こそ典型的な「労働者」として定義すべきだ。

 テクノロジーの進展により労務管理の形は変化しても、労働者が使用者の支配下に置かれ、労務の対価として報酬を得ているという根本は変わらない。むしろ労働者性の定義の射程を広げていくことが不可欠である。

労働組合の立場から

 今回は「労働者」の定義をめぐって考察したが、労働基準法全体を「労使自治」の名で適用を免れる仕組みの導入が画策されている。来年にも法案が国会に提出される状況で、動きはかなり早い。にも関わらず社会的に焦点化していない現状がある。

 労働組合として、労働者性の否定に道を開くいかなる試みにも断固反対の声とアクションが必要だ。研究会や学習会、市民講座や講演会などをはじめ、労政審への抗議や国会提出を許さない具体的な運動方針も考えていきたい。

ちば合同労組ニュース 第183号 2025年10月1日発行より

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