野戦病院化で過去最大の介護危機

医療・介護

職場からの報告

第7波クラスター 野戦病院化で過去最大の介護危機

都道府県「施設入所の継続」指示

 夏の新型コロナ第7波で介護施設のクラスターが過去最多となった。全職員が陽性になった施設もある。クラスター発生件数は10倍近い水準となり、組合員の働く各施設でもクラスターが発生した。
 2000年の介護保険制度の開始以来の最大の「介護危機」が生じた。ひとことで言えば「介護施設の病院化」が起きた。いや本来は病院でないものが病院化して〝野戦病院〟のようになった。
 感染爆発で病院のコロナ病床がひっ迫し、高齢患者が入院できず介護施設内で療養するケースが多発した。しかも医療提供や保健所の支援もなく、施設で療養中に症状が悪化し、亡くなる人が相次いだ。
 救急搬送の拒否が通常時の数倍となり、搬送先の医療機関が決まらず、救急隊も消防署に戻ることができない連続出動が常態化した。
 高齢者は重症化しやすいのに入院できない。数字では各都道府県、5割未満で病床は空いている。が、医療従事者が確保できないのだ。コロナ患者の治療には通常の1・5~2倍の人手が必要と言われる。しかし感染や濃厚接触で出勤できない医療従事者も多かった。
 医療の知識や技能、経験がない介護職員が感染者の療養に従事し、施設内で唯一の医療職である看護師に強い負担が生じ、介護職員との葛藤も生じた。介護施設の〝病院化〟は過酷な労働と経験を強いた。

岸田政権の転換

 今回の介護危機・介護崩壊の引き金は、直接的には岸田政権の決断(「ウィズコロナ」への転換)だ。
 岸田首相は7月に「社会経済活動と感染拡大防止の両立を維持するため世代ごとにメリハリの利いた対策をさらに徹底していく」と述べた。厚労省は「より介護的なケアが充実している高齢者施設などで療養することも選択の一つだ」と打ち出し、都道府県も「原則として施設内で療養を続けて欲しい」と転換した。
 こうして病院への受け容れがシャットアウトされ、介護施設の病院化が生じたのだ。最後はただただ現場の介護労働者の使命感や責任感の前に高齢者を放り出したのだ。命の選別が社会的に行われたとしか言いようがない。
 3・11後、福島で甲状腺検査を縮小し、第一原発の汚染水は「アンダーコントロール(管理下にある)」と述べた安倍元首相のやり口と同じだ。

社会保障の解体

 さらに大きな流れを見る必要がある。介護危機は突然生じたわけではない。この数十年間の医療費抑制・社会保障の解体が背景にある。
 そもそも2000年の介護保険制度の導入は、医療費の抑制・削減と新たな大衆収奪の仕組みをつくり、株式会社など営利団体の参入を制度化するものだった。
 さらに14年に医療介護総合確保法が制定され、「地域包括ケアシステム」の構築が始まった。病床機能報告制度が創設され、各病院に対して病床数を医療機能別に知事に報告させ、強権的に病床を削減する政策を推進してきた。
 入院患者を病院から在宅・介護施設へと誘導し、医療費を削減することが目的だ。病院看護師については現状より大幅に少ない人員で足りると推計していた。
 これと一体で病院の統廃合を強力にプッシュした。病院・病床削減のターゲットは公立・公的病院だった。19年9月には424病院を名指しして、病院の統廃合や診療科の削減、入院ベッドの削減などを推進した。保健所や感染症病床の減少も同様の事態が進行した。
 ここに新型コロナが直撃したのだ。今回の介護危機は、コロナ以前の問題点・矛盾が顕在化したとも言えるのだ。

労働組合の方向性

 介護現場もまた月10回の夜勤など過酷な実態の悪循環で人手不足が続き、派遣の導入が常態化し、派遣会社に支払う派遣料が事業者を圧迫している。新しい人が就職しても必要な経験を積む前に離職するのが現実だ。介護の専門性が後退している。
 クラスター発生時の労働者の安全確保、手当や補償もおよそまともに行われていない。高齢者が感染し、医療を受けずに亡くなる現実に多く介護労働者が自責の念や無力感を感じている。
 今回の介護危機は岸田政権による「ショックドクトリン(惨状につけ込んで社会保障の解体や市場原理主義を導入する)」でもあった。〝アフターコロナ〟と称して介護業界では業務の効率化(ITCの導入など)と経営の大規模化、M&A(企業の合併・買収)が加速している。
 今回の介護危機は本当に一言では分析や表現はできない事態だった。闘いの方向性、労働組合の意義や進むべき道についてもう一度、職場の仲間と共に考えていきたい。

 ちば合同労組ニュース 第147号 2022年10月1日発行より