実践的に考える職場と労働法 労災事故と労働安全衛生法

実践的に考える職場と労働法 連載・職場と労働法

実践的に考える職場と労働法

労災事故と労働安全衛生法

使用者責任の追及と労使の不断の闘争が必要

 『労働安全衛生法のはなし』(畠中信夫著)に「安全規則は先人の血で書かれた文字である」という言葉が出てきます。確かにそういう面がある。
 労働災害防止に関する法律の歴史は、多くの場合、労働災害の発生という結果が先にあって、それに対する労働者や遺族の闘い、あるいは世論の圧力で法令などの規制が行われ、事業主による防止策・対応策の義務づけがなされるかたちで進んできた。
 近年でも、1996年12月に長野県と新潟県の県境にある姫川で土石流が発生、下流で砂防工事を行っていた14人が死亡する事故が起きた。この事故後に初めて「土石流による労災防止のためのガイドライン」が制定され、①事業者による作業場所や上流域の地形や過去の土石流の発生状況などの事前の調査、②土石流の発生・把握・警報・避難などの基準の設定、③警報用・避難用設備の設置―などの措置が定められた。
 99年に茨城県東海村で起きた核燃料加工施設での臨界事故では3人の作業員のうち2人が死亡。この事故で「電離放射線障害防止規則」の大きな改定が行われた。

鶴見と三池の事故

 資本主義初期の時代には、「契約の自由」のもとで児童労働や長時間労働、労働者の酷使が行われた。また雇用主に直接的な故意・過失がなければ責任が問われない「過失責任主義」をタテに労働災害や健康破壊の多くが労働者の不注意・自己責任とされ、補償もなされず生活困窮が生じた。日本の状況については『女工哀史』『ああ野麦峠』などが有名だ。
 こうした労働者の状況に対する内外の批判、あるいは労働者の積極的・消極的な抵抗が生じ、明治維新から40数年後の1911年に初めて日本で工場法ができたのである。
 工場法は、15歳未満と女性の深夜業を禁止し、労働時間を12時間に制限した。これは「労働条件」「権利保護」というより工場労働による年少者・女性の体位低下や結核蔓延を防ぐことが主眼だった。
 工場法はその名のとおり工場だけしか適用されませんでしたが、その後、建設業や貨物運送業などに安全衛生法令は拡大されていきました。
 ようやく敗戦後の1947年に労働基準法が制定され、5章には「安全及び衛生」として安全衛生に関する章が設けられ、「労働安全衛生規則」が定められました。
 ここにはじめて戦前のように対象業種や規模が限定されていた状況から、病院や商店、事務所で働く労働者にも、健康診断、安全衛生教育、休業などの規定が適用されるようになりました。それでも独立した労働安全衛生法は72年まで制定されませんでした。
 60年代、高度経済成長のなかで職場環境が激変しました。そんな時代の63年11月9日、同じ日に歴史に残る2つの労働災害が発生しました。
 国鉄東海道線の鶴見駅(横浜市)で死者161人を出した列車の二重衝突事故。福岡県の三井三池炭鉱における死者458人の炭塵爆発事故です。三池では救出された労働者の9割以上839人も一酸化炭素(CO)中毒となり、長期にわたって労働者と家族を苦しめました。戦後最大の労災事故でした。
 三池の事故は、1960年の三池争議からわずか3年で発生しました。三池労組は「闘いなくして安全なし」を掲げ、坑内の安全が確認できないときは入坑を拒否して闘った労働組合でした。
 しかし、組合側の敗北により大規模な合理化が強行され、保安要員が大幅に削減され、争議前には施されていた炭じんの清掃や水まきも無視されていました。炭じん爆発を防ぐ技術は戦前にすでに確立され、戦後一度も事故はなかったのです。適切な対応があれば事故は防げた。危険が認識できていなかったわけでも、事故防止技術がなかったわけでもなかったのです。
 この2つの労災事故で「生産優先」から「人命尊重」の〝一定〟の流れができ、数年後に労働安全衛生法が制定される。この法律には「事業者は、職場における労働者の安全と健康を確保するようにしなければならない」(3条)と明確に規程された。

労働者を守る道

 安全衛生法令の歴史をみると、あらかじめ法律が労働者を守ってきた歴史ではけっしてなく、劣悪な労働環境や、労働者の生命が奪われて初めて制定されたことが分かる。
 確かに「後追い的性格」が否めない領域なのかもしれません。しかし、多くの事故は、後知恵で言えば防げるものが大半だ。つまり職場において常態として存在しているのは「安全」ではなく、「危険・有害の要因」だということです。
 これを使用者・企業の責任として明確化し、労使の対抗関係において不断の闘争がなければ事故を減らし、労働者を守ることはできないことを示していると思います。
 労働組合としては何よりも、職場の仲間の中に「事故と弁当は自分持ち」ではなく労働者が団結して資本と闘うことを通してしか自分と仲間を守ることはできないという認識や気持ちをどう議論していくかが課題だと思います。

ちば合同労組ニュース 第86号 2017年9月1日発行より