鉄道運転士の花束

労働映画

映画紹介『鉄道運転士の花束』

 2019年日本公開のセルビア・クロアチアの映画。原題は『運転士の日記』。人身事故が避けて通れない鉄道運転士の日常と誇り、人生の悲哀をブラックユーモアで描く人情映画だ。賛否両論ある作品。

 冒頭、鉄道事故から始まる。そして主人公である鉄道運転士イリヤの独白。「親父と俺は53人の人間を殺した。男が40人、女が13人。じいさんの分も加えれば66人殺したことになる。裁かれたことはない」
 イリヤは60歳で独身の鉄道運転士。鉄道運転士としての長いキャリアの中で28人を轢き殺した記録を残し、まもなく引退を迎える。養護施設を逃げ出し自殺を図ったシーマを間一髪のところでブレーキを踏んで助け養子に。19歳になったシーマは義父にあこがれて運転士の見習い中だ。
 ベテラン運転士が酒を飲んでは「人を轢いてこそ一人前」とうそぶく職場で、義父からも事故は避けて通れないと言い聞かされて育ったシーマは「俺は誰かを轢かなきゃ。もう限界だ」と強迫観念にとらわれる。イリヤは「息子のためだ。新米運転士なんだ」とレールに横たわる。実はイリヤには決して記憶から消せない過去があった。

 いろいろあってシーマも人身事故。「俺たちに罪はない。でも、お悔やみを…」。イリヤたちの態度は一見冷淡にもみえ、職業倫理や誇りは日本とはやや違う雰囲気も。しかし「健さん」「寅さん」にも通ずる感じは万国共通か。
 鉄道員の住む官舎が客車列車を利用。家の前では大量の花が育てられている。鉄道員たちの素っ気ない態度と対照的だが、これが邦題の元になっている。

ちば合同労組ニュース 第133号 2021年8月1日発行より