連載 千葉巡礼―土地の歴史と風土、産業を訪ねて―木更津

木更津駅

 かつて江戸前の港町だった木更津は、97年のアクアライン開通と、その後の通行料引き下げを機に大きく変貌。圏央道との接続で成田空港へのアクセスも向上し、物流・交通のハブに。周辺には三井アウトレットパークやコストコなどの大型商業施設、研究開発拠点「かずさアカデミアパーク」も。

 昭和前期は軍都の側面が強かった。1936年に海軍航空基地(現・陸上自衛隊木更津駐屯地)が設置され、航空機を製造・修理する巨大な巌根工場など、現在の駅海側にかけて軍需インフラが急速に整備された。木更津海軍航空隊は、世界初の渡洋爆撃(中国本土への空襲)を行い国際的な非難を浴びた。そして45年8月15日、敗戦を知らぬまま、玉音放送が流れるさなかに最後の特攻機編隊が出撃した悲劇の歴史も刻まれる。現在も住宅地や畑に空襲から機体を守ったコンクリート製の「掩体壕」がひっそりと残る。

 かつての木更津の海は見渡す限り竹の棒が刺さる江戸前海苔の一大産地だった。だが高度成長期、京葉工業地帯の埋め立てで製鉄所や巨大工場へとその姿を変えた。

 木更津駅が起点の久留里線は、かつて「気動車王国」と呼ばれた房総半島に今も残る非電化路線。当初は鉄道連隊の訓練の一環として建設されたが、地元の期待は大きく熱心な資金・土地の寄付で開通した。当時は速度が遅く、「陸上部の生徒が走って競争して勝った」との逸話も。木原線(現・いすみ鉄道)との接続を見据えて国へ無償譲渡されたが、第2次大戦中は不要不急線として一時休止。戦後は一転して、京葉工業地帯への通勤路線として地域を支えた。

ちば合同労組ニュース 第193号 2026年8月1日発行より

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