事件から30年、続く基地と軍事強化
1995年10月21日は強く記憶に残る日です。米兵による少女暴行事件に抗議し、沖縄県宜野湾市で「沖縄県民総決起大会」が開かれた日です。
文字通り会場を埋め尽くした8万5千人の怒り。東京都の人口規模に換算すれば実に100万人を超える人びとが同じ場所に集まる熱量です。当時、夕方のニュースに接し、沖縄の人々を突き動かす思いに大きな衝撃を受けました。
この県民の怒りを前に、事態の収束を図る日米両政府が翌96年、「普天間飛行場の返還」が打ち出されました。しかし、それは辺野古への新基地建設のペテンであり、普天間飛行場は30年が経った今も返還されず、沖縄は、より深刻な軍事強化の波に飲み込まれようとしています。

1994年の沖縄県民総決起大会
戦時下の沖縄
普天間飛行場は宜野湾市の中心部に位置し、住宅や学校が密集する中にあります。03年には当時の米国防長官が「世界一危険」と言ったほどです。
実際に、04年には沖縄国際大学へのヘリ墜落事故、17年には普天間第二小学校への窓枠落下事故など、一歩間違えば大惨事となる事故が繰り返されています。航空機騒音や燃料流出による環境汚染、さらには米兵犯罪など、県民は常に隣り合わせの恐怖と向き合っています。
なぜ、これほどまでに沖縄に基地が集中しているのか。それは「銃剣とブルドーザー」による強制接収、そして本土の基地反対運動によって押し出された機能を沖縄が引き受けてきた、戦後日本の構造的な問題でもある。
政府は辺野古移設を「唯一の解決策」と強弁しますが、「マヨネーズ並み」の超軟弱地盤という技術的困難に直面、9千億円余の予算の過半を使い切りながら、土砂投入は遅々として進まず、完成しないとみるや、米国防総省は「辺野古が完成しても長い滑走路がなければ普天間を返還しない」との見解を明らかにしている。
沖縄・基地問題は、普天間や辺野古に留まらず、沖縄・南西諸島全体が「軍事要塞」へと変貌しつつある現実です。「台湾有事」を大義名分に、石垣島や宮古島、与那国島にはミサイル基地が次々と建設され、自衛隊の増強が急速に進んでいます。有事を見越した「血液の保管計画」や「避難施設の整備」といった極めて具体的な戦争の動きが加速度的に進んでいる。

沖縄戦の歴史
世界中で「力による支配」が再燃し、再び帝国主義的な領土や勢力圏の奪い合いが始まっている。イラン攻撃に沖縄海兵隊も加わる。かつて沖縄戦で県民の4人に1人が犠牲になった歴史は私たちに何を問うのか。
まもなく54回目の5・15「本土復帰」が来る。「安保粉砕・基地撤去」の闘いに、ちば合同労組の組合員も参加する。沖縄の基地問題を私たち自身の問題として捉え直し、改めて沖縄の基地問題に取り組もう。
ちば合同労組ニュース 第190号 2026年5月1日発行より


