横須賀の軍事施設は有名だが、同じく東京湾口部に位置する館山も帝都東京と横須賀軍港防衛の最前線として特別な役割を演じてきた。海軍航空隊や海軍砲術学校など様々な軍事施設があり、館山航空基地は「陸の空母(館空)」と称された。空母パイロットを養成し、重慶爆撃や真珠湾攻撃も担った。
戦争末期には米軍上陸が想定され、本土決戦体制の特攻基地や陣地建設で住民も動員された。「玉音放送」も敵の謀略として信じない人が多かった。館山はウミホタルの生息地として世界的に知られるが、照明としての軍事利用研究のため、ウミホタル採取に子どもも動員された。体当たり戦闘機や人間魚雷やボートの秘密基地も設置された。
内房線・外房線の開通で船舶による旅客交通が衰え、鉄道に合わせて房総地域で乗合自動車の運行が始まった(1910年)。これが日東交通のルーツである。日東交通はアクアライン開通後に高速バスへシフトしたが、元々は房総半島における最大手のバス会社で、戦争中は木更津・館山の発展とともに会社も繁栄した。
浜金谷駅の近くにある鋸山は良質な石材の産地で、露出した岩肌が鋸の歯のように見えることからこの名がついた。行基が開山した日本寺があり、山頂からの眺望は素晴らしい。石仏群や大仏も見どころで、この辺りからは東京湾越しに富士山が美しく見える。東京湾フェリーは浦賀水道を横断し三浦半島と約40分で結ぶ。かつては房総半島(木更津・富津・浜金谷)と対岸(東京・横浜・川崎)を結ぶ船舶が多数運航されていた。この地域のアジフライ定食は評判が高い。

ちば合同労組ニュース 第191号 2026年6月1日発行より

