解決事例

ちば合同労働組合での解決事例を紹介ます。相談から解決までの流れがイメージできると思います。私たちは、問題解決後も職場の状況を改善するために継続的な組合活動を意識して対応していきます。

仕事外しのパワハラと闘い3年後に復帰

私は、自治体施設の運転手です。
数年前、「労働組合をやめるまで仕事をさせない」と言われて業務から排除され、3年近く机に一日中座っているだけの状態にさせられました。さらに「勤務時間中にビラを配布した」ことを理由に停職1月の懲戒処分が発令されました。
施設では民営化の動きが強まっており、民営化反対の声が上がることを恐れて労働組合員の私を排除しようとしたのです。私の机の前にはホワイトボードが設置され、周囲から隔離。書類のシュレッダーかけや訂正用シール貼りしかさせてもらえませんでした。
団体交渉と裁判を通して、ついに運転の仕事に戻りました。「停職処分の撤回」「仕事はずしの精神的苦痛への損害賠償」を求めた2つの裁判では慰謝料支払いも命じさせました。
裁判などを通して、自治体側の不当性が明らかになり、市役所の中からも疑問の声が上がり、追い詰めていきました。
管理職からの陰湿なパワハラや本来の仕事がさせてもらえないのは本当につらいものでしたが、最後は職場の仲間と組合の力で勝利が決まったと思っています。
(自治体職場・Wさん)

休業補償と退職金をかちとった

私は、ゼネコンの下請けをしている建築関係の会社で働いていました。ところが会社は、建築不況を理由にゼネコンから仕事をもらえないと「次の仕事が見つかるまで、無給で休め」と言ってきました。私は、ちば合同労働組合に加入して団体交渉で「休職中の収入を補償する」ことを申し入れました。
会社側ははじめ「あなたは請負だから補償する必要はない」と言っていましたが、雇用契約書を突きつけ補償することを認めました。ところが、今度は突然「解雇通告」を出してきました。「働きが悪い」という理由です。
解雇撤回の団体交渉にきりかえて、社前や周辺でチラシを配って訴えました。結果、会社は解雇は撤回しました。しかし「中小零細企業なので、このままでは会社が潰れる。会社都合の退職で合意してほしい」と言ってきました。これ以上交渉しても良い結果はでないと思い、十分な退職金をもらうことで合意書を取り交わして終結させました。
(建設会社・Mさん)

自宅謹慎処分は最も軽微なものにとどめ、定年まで働くことを約束させることができました

Dさんが働く大手メーカーT社では、2008年のリーマンショックの頃から大規模なリストラを進めてきました。Dさんは早期希望退職などの誘いを受けましたが、定年まで働き続けたいとの希望を会社に伝えてきました。
Dさんは子会社に出向となり、長年従事してきた業務はまったく関係のない資料整理を毎日させられました。Dさんは体調も崩し、無意味な仕事に意見具申したところ会社から懲戒会処分として自宅謹慎を命じられました。ちば合同労組に相談し、打ち合わせの上で会社と交渉したところ、処分については最も軽微なものにとどめ、定年まで働くことを約束させることができました。(労働相談スタッフE)