労働者の連帯感を取り戻す
そんな労働組合を作りたい
戦争法案を止めるため国会前に何度か足を運んだ。
特別委員会の山場となった9月16日、戦争法案を許すなの一念で数万人が雨の中に集まっていた。すごい数の警察隊とバリケード。「安倍は辞めろ」の群衆の叫び。
議事堂の中の様子は?とツイッターを眺めた。「新幹線で無理して来て良かった」「今から仲間と向かいます」「自分は国会前に行けてないけどがんばれ」……
そんな投稿で埋め尽くされていた。ネット世界は通常、右翼が幅を利かすが、この日は違った。本当に多くの人びとが一心に駆けつけ、同じ思いを持つ人・人・人に感動している様子が伝わる。
戦争経験者、60年70年安保世代、組合で来た感じの人、子連れのお母さん、学生……夜9時、人が減り始めた思ったら再び人波の圧力が増す。残業が終わって駆けつけた若者が加わった。
議事堂前は、機動隊バスがずらっと並び群衆は一つになれない。歯がゆい。目の前で採決強行が狙われているのに……。次第に怒りと行動力が高まる空気感。
ついに鉄柵バリケードがごぼう抜きされた。数㍍の鉄柵をロープで結んだ数十㍍のバリケードが丸ごと引き抜かれたのだ、それを阻む警官隊数十人が一緒に群衆の中に引き釣りこまれた。まるで地引き網を見ているようだった。
駅へ向かう道で
終電が迫り地下鉄に向かった。他の人も終電に飛び乗って明日も仕事の後に国会へ来るのだろうか――そんなことを考えながら駅へ急いだ。
ふと違和感。あれだけの熱気に満ちた闘いを共にしたのに、駅へ向かう人波にはあんまり連帯感がない。
登山では、見知らぬ者でもあいさつする。登山という共通の目的と趣味から会話に発展することもある。国会前でそんな雰囲気あってもいいんじゃない?
誤解は困るのですが、連帯感や団結がないわけじゃないのです。何十万人が戦争反対で動いた。気持ちも通ずる。団結や連帯もあります。まだ慣れていないのかな。
「個人」「主権者」がやたら強調され、マイクでしゃべるのは国会議員や文化人。主催者の統制に従え、労働組合は旗を出すな、と抑圧され気味。
でも多くは普通の労働者。「僕は介護職でこういう思いで来ました」「看護師として戦争協力はイヤ」「教員として子どもたちを戦争に送る法律は許せない」という感じで交歓できれば、もっと連帯感が生まれたと思う。
労働者の連帯感
よく戦争は国内政治の継続と言われる。労働者の雇用や生活、権利が破壊される政治と戦争はつながっている。戦争になったとき、交戦国の両方の労働者が自国の戦争を止めるために政府と闘うことが戦争を止める最良の方法だ。
労働者の連帯感や労働者意識を高めるためには、やっぱり労働組合が大切です。
もっと労働組合を社会の前面に出そう。労働者が連帯感と存在感を取り戻す組合をつくってみようじゃないか、と考えながら、疲れ気味で家路につきました。
ちば合同労組ニュース 第63号(2015年10月1日発行)より