在日ミャンマー人が渋谷デモ
軍事クーデターに共に怒りを
3月27日、ミャンマー国軍のクーデターに抗議し、表参道や原宿周辺を在日ミャンマー人がデモ行進しました
私は事前の予定があり原宿付近に到着したのは終了間際で見物だけに。デモ参加者は若者が多く、隊列の最後列にベビーカーを押す女性が続いていたのが印象的でした。
都内は快晴温暖で桜も満開のデモ日和でしたが、翌朝の新聞は、ミャンマー本国では国軍が100人以上を殺害したと報じ、慄然としました。
ミャンマーと日本の関係は深い。第2次大戦中、中国・蒋介石政権に軍事物資を補給する「援蒋ルート」を遮断するために日本軍が英領ビルマに侵攻し占拠。その後、当初は日本軍と共に闘ったアウンサン将軍(スーチーの父親)が対日蜂起し、48年に独立を果たした経緯がある。
62年の軍事クーデターで成立したネウィン政権は「仏教式社会主義」を掲げ反共主義の長期独裁を続けた。88年に民主化運動が高揚したが再度の軍事クーデター。民主化闘争リーダーのスーチーも自宅軟禁に。2011年の総選挙でスーチー率いる国民民主連盟(NLD)政権が誕生した。
しかし、その実態は国軍との連立政権に近く、憲法の規定により国会議席の4分の1があらかじめ国軍に与えられるなど国軍が大きな影響力を保持し、NLDも含む仏教ナショナリズムを背景にしたロヒンギャ・ムスリムに対する民族浄化など諸問題が発生してきた。
日本政府は、軍事政権に対して一貫して融和的で、88年の軍事クーデーターの際もいち早く軍事政権を承認し、各国が経済制裁を行う中でも財政支援やODAを続け、軍事政権とパイプを保ってきた。
11年の民主化以降、ミャンマーは「アジア最後のフロンティア」と呼ばれ、縫製工場などグローバル企業が殺到している。日本企業も進出を拡大。飲料メーカー・キリンと軍系企業との合弁企業が軍の資金源になっていることを国際人権団体が指摘する。
昨年11月の総選挙でNLDが圧勝したことに危機感を持った国軍が2月1日にクーデターを起こした後、ミャンマーでは文字通り命がけの闘いが続いている。
現地では労働組合の呼びかけで3月8日から無期限ストライキが始まる。軍の統制下にある石油・ガス会社、航空会社、縫製工場、病院、学校などで不服従運動が呼びかけられ、対抗して国軍が病院や大学を占拠したとも報じられている。民政派と少数民族解放闘争の連携も報じられる。
在日ミャンマー人社会では、88年の民主化運動の活動家が弾圧を逃れて来日し、日本における民主化運動の伝統も力強くある。03年、石原都政のもとで入管・都・警視庁が「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同声明」を出し、オーバーステイの外国人を半減させるとの方針で高田馬場や新大久保など在日ミャンマー人コミュニティーで家宅捜査や職質が日常化したこともある。
「民主化」以降、ミャンマー本国もパスポートを正規の手続きで発行するようになり、技能実習生や留学生なども急増した。デモの先頭に経つ若者は民主化の中で育った世代なのだろう。
在日ミャンマー人との連帯を広げたい!(組合員T)
ちば合同労組ニュース 第129号 2021年4月1日発行より