パレスチナの歴史と現在

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RG-Beach-10(H)? In the absence of port facilities in 1949, People from Beach camp, Gaza Strip wanting to reach boats waiting in deeper water to be carried. ©1949 UNRWA Photo By Hrant Nakashian
〝帝国主義に起源持つ問題〟
 「ガザの戦争はいつ終わるのか」「イスラエルはなぜここまでやるのか」――1月の労働学校はこのような問いに答えるような講座でした。
75年に及ぶ民族浄化
 パレスチナ問題の一つの起点は1948年のナクバ(アラビア語で「大災厄」の意味)だ。百万人を超えるパレスチナ人が国境から追放され、難民となった。これは戦争による悲劇ではなく、英国やシオニストによって用意周到に計画準備され、実行された。港町ハイファではユダヤ人とアラブ人は共存関係を築いてきたが、極右シオニストの奇襲攻撃によって引き裂かれた。
 そして48年5月、イスラエルが「建国」された。以降75年にわたってイスラエルは、ヨルダン河西岸地区にも入植地を拡大し、「領土」を拡大させてきた。23年10・7以降、イスラエル軍による2万5千人超の虐殺は、ガザ地区に住む200万人以上の全員を強制追放するための軍事作戦の一つでもある。
 「ナクバ」の考え方は、現在のガザ虐殺の作戦に至るまで引き継がれ、実際に目の前で展開されている
 
入植者植民地主義
 イスラエルの残虐な行動は入植者植民地主義にルーツを持つとパレスチナ歴史学者は指摘する。1800年代、南北米大陸やオーストラリアでは、先住民がほぼ絶滅するまで殺害され、「保留地」への移住が強制された。
 この侵略行為は、「明白な運命」という名のキリスト教的神話で白人の支配が合理化・正当化されてきた。事実は抹消され、白人の都合の良い歴史が上書きされてきた。日本でも、同様の入植者植民地主義は、明治維新後に北海道や台湾などで実行された(今なお先住民・アイヌ民族差別は続いている)。
 歴史的に見ればシオニズム運動はけっして独特なものではなく、帝国主義の時代に特有の戦争と支配の一例だ。
パレスチナ人は解放の主体
 世界に離散したパレスチナ人は屈服せず自らの共同体のために生き未来を創造している。「犠牲」の面からだけで語るのは一面的だ。パレスチナ人はイスラエルの侵略に断固として闘い続けている。
 パレスチナの闘いは、すべての世界労働者の連帯を生み闘いの指針になりつつある。米国では全米自動車労組をはじめ、電機・教育・郵便などの産別でパレスチナ支持が決議されるなど、人口消滅や気候危機などカタストロフィに直面する資本主義社会を根本から捉え直す自分たちの問題として提起されている。
(ちば合同労組ニュース第163号 2月1日発行より)