介護労働の現場から〈11〉介護労働とは

介護労働の現場から〈11〉
2014年03月02日
介護労働とは

労働時間内に2人で仕事をこなすのは大変だ。分刻みでへとへとになるまで働いても、その仕事は利用者に伝わらない。スキルの問題ではなく、なにか根本的なところで間違っていないか? そもそも介護労働とはいったい何なのか? 一生懸命考えた。
資格講習のおばヘル講師は、講習の最後に涙目で、はなむけの言葉。「介護は、お年寄りの世話をするのが仕事、高齢者は若い頃は一生懸命働いてきて、そのおかげで今の日本の繁栄がある。尊敬し、まごころを込めて介護しなさい」。まるで介護はお・も・て・な・し。
でも、どんなに「おもてなし」しようと介護拒否する時はするし、理由もなく不機嫌になり、スタッフに八つ当たり。それに高齢者は周囲の反応に敏感だ。ごまかす、取り繕う、作り話をする、そんなことを施設内で繰り返すから、その対処に追われてスタッフが疲弊してしまう。
だから、まず仕事、追剥ぎのごとく服をぬがせ、トイレに座らせ、食べ物を口に突っ込み、繰り返す昔話は生返事で対応して、介護ルーティンワーク一丁あがり。介護職のベテランは、ルーティンワークに「気遣い」という名のお追従を散りばめ、その場しのぎをする。そして、裏でアカンベーをし、「どうせ判ってない」「あの人はバカだよね」と本音で労働と向き合わない。そんな先輩たち、ロールモデルにならない。
もっとシンプルに考えられないか。日本の繁栄や尊敬? おもてなし? 関係ないでしょ。介護とは、病気や障害で自立が困難になった人の自立を支援することである。自己決定権、当事者主権から判断すれば、支援において何が必要なのかを決めるのは、支援する側ではない。支援を受ける側だ。
しかし、支援を受ける側は主体性を持っていないことが多い。だから、勝手なケアプランを作り、一方的な介護をして、あげくに介護拒否にあって双方ともに苦しむ。まず利用者のそのままを受け止め(それが尊敬だ)、本人が要求するまで、待ってみたらどうだろう。それから支援すればいいのだ。いらないというなら支援しなくていい。現場をまわしていこうというのは、支援する側の利己的な要求だし、「まごころ」や「気遣い」は善意の押し付けで、支援の妨げだ。
管理者と飲んだ。彼も資格のない素人なら、私も経験者ではない。オーナーは稼働率(利用者数)があがれば文句はないし、本社は人手不足は考慮せずに、もっとていねいな介護をという建前論。管理者はつらいよ。雇われ店長みたいなもので、利用者を獲得するための外回りの営業、介護保険請求事務などの事務作業、備品や人事管理、それだけでも忙しいのに、現場にも入る。家に帰れなくて、事務所に布団を持ち込んで床に寝ている日々だ。
「俺は過労死しないよ」「私も、プライベート重視、ワーク・ライフ・バランスだ、よ」なんていいながら、交渉はヘゲモニー、私は話を切り出した。
(あらかん)
(ちば合同労組ニュース43号から)