米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー

労働映画

映画紹介『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』

 沖縄の政治家・瀬長亀治郎の生涯を描く。2017年夏の公開時、那覇市の映画館は猛暑にも関わらず何百㍍もの行列ができ「カメさんに会いに来た」と高齢者が並んだ。今なお沖縄県民に慕われる大衆政治家なのだ。映画は、映像・インタビュー・本人の肉声、そして230冊に及ぶ直筆の日記などで構成される。瀬長の生涯と共に沖縄の戦後史、そして現在の沖縄を浮き彫りにする。

 瀬長は、戦前は、横浜で労働運動に加わり、熱海駅の先にある丹那トンネルの労働争議を指導して治安維持法違反で逮捕、横浜刑務所に投獄された。戦後は、新聞記者になり、うるま新報(現・琉球新報)社長に就任。沖縄人民党の結成に参加し、書記長や委員長を歴任。米軍統治下の第1回立法院議員選挙(52年)でトップ当選。琉球政府創立式典では宣誓を拒否し、米軍は瀬長への警戒と監視を強めた。
 54年、沖縄退去命令を受けた人民党員を匿った容疑で瀬長は逮捕される(人民党事件)。1人の証言で弁護士なしの裁判で有罪・投獄。出獄後には那覇市長に当選。米軍は補助金と融資を打ち切り、預金凍結で市政運営を妨害。多くの市民が瀬長市政を支えるため自主納税し、納税率77%が最高97%に。7度の不信任案を乗り越えるが、米軍は瀬長の投獄歴を理由に被選挙権を奪い、市長の座から追放する。那覇市政をめぐる米軍政との攻防は、その後の島ぐるみ闘争に大きなインパクトを与えた。
 本土復帰後は国会議員となり、沖縄人民党は日本共産党に合流する。瀬長と佐藤栄作の論戦はなかなか面白い。01年まで存命で95年の県民大会は自宅で中継を観ていたという。近年、那覇市内に記念館(不屈館)も開館した。

ちば合同労組ニュース 第111号 2019年10月1日発行より