社会保障制度の歴史を考える

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社会保障制度の歴史を考える

29年世界恐慌と第2次世界大戦を経て制度化

 2回に分けて社会保障の歴史について考えてみたい。現在のような社会保障制度の仕組みができたのは、私たちが思うより歴史が浅い。
 近代的な社会保障制度はヨーロッパで始まった。まず最初に資本主義が始まったイギリスで労働者の貧困問題が社会問題化して「救貧法」が作られた。
 これは都市のスラム街に集まった浮浪者のうち働くことができる者は取り締まって労役場(強制労働所)で働かせる一方、孤児や高齢者、障害者など労働能力がないとされた人びとを対象として貧困に陥った場合に救済する仕組みだった。
 他方で、中世ヨーロッパの職人の世界では同業者が集まって、生活の困難な原因となる病気やけが、障害や死亡などに備えて互いに助け合う仕組みがあった。近代に入ると工場労働者たちも労働組合を通じて相互扶助の仕組みを作っていった。
 いわゆる「社会保障制度」として公的な仕組みになったのは1870年にドイツ統一を成し遂げ、「鉄血宰相」と呼ばれたビスマルク政府の時代だ。
 英仏より遅れて工業化が進んだドイツでも、次第に人口の都市集中、物価高や低賃金、労働者の大量解雇などの問題が続き、労働争議や暴動が頻発するなど労働問題が最大の社会問題となったのです。
 このためビスマルクは社会主義運動や労働運動を厳しく取り締まる一方で、1881年に「疾病保険」「労働災害保険」「障害・老齢年金」の3つについて世界で初めて社会保険を法律化します。世界史の教科書には「飴と鞭」政策と書かれています。
 日本でも、労働争議の激化や米騒動など社会問題が深刻化した1922年に健康保険法が制定されます。

世界戦争が契機に

 世界的に見ると、20世紀初頭までにヨーロッパを中心に社会保障の基本的な仕組みが整備されます。しかし本格的な社会保障制度として展開するのは、第二次世界大戦を前後する過程です。
 1929年のニューヨークのウォール街の株価大暴落に端を発して世界大恐慌が始まります。世界中で大量の失業者が街にあふれ、労働争議が激増します。
 そうした中で米国のルーズベルト大統領は積極的な公共投資などで景気回復を目指すニューディール政策を採用します。ルーズベルトは、労働者の団結権・団体交渉権を認め、労働組合の組織化が一気に進みます。1935年に社会保障法を制定します。「社会保障」という言葉が法律で初めて用いられました。
 41年8月、第二次大戦後の米英の目標を示す声明「大西洋憲章」が発表されます。
 これは連合国の正当性と戦後構想を示したもので、翌42年にILO(国際労働機関)が「社会保障への途」と題する報告書を発表します、英国では、戦後の社会保障制度の構想の土台となるベヴァリッジ報告「社会保険及び関連サービス」が発表され、戦後の福祉国家への期待を高めることとなります。

新自由主義の開始

 こうして戦争終結後、英国では「ゆりかごから墓場まで」と言われる社会保障制度が始まります。一方、アメリカでは自己責任論が強く、なかなか社会保障は発展しませんでしたが、1965年には公的医療保険のメディケア(高齢・障害者医療保険)とメディケイド(低所得者医療扶助)が創設されます。
 いわゆる「福祉国家」を目指す社会保障の発展の基調が転換したのが73年のオイルショック(石油危機)の時期です。戦後の経済成長ブームがデッドロックにぶつかり低成長の時代に入ります。さらに高齢社会の到来が迫ってきます。
 80年代になると、英国のサッチャー首相、米国のレーガン大統領、日本の中曽根首相など新自由主義の時代が始まります。市場経済の重視、規制緩和と民営化、小さな政府への指向の中で、社会保障・社会福祉の大幅な縮小が始まります。

日本における展開

 日本の社会保障制度はどうような経過を辿ったか。
 「明治期」には富国強兵・殖産興業の政策の中で近代的な保険・医療制度の基盤整備が始まっていくが、繊維工業の女工の間で流行した結核対策などにとどまります。
 「大正期」に入ると第一次世界大戦が勃発し、繊維産業の輸出が急増して好景気に沸き、さらに鉄や石炭などの重工業も勃興していった。同時に労働組合運動も盛んになります。
 そして1922年に、日本で初めての社会保険である健康保険法が制定され、関東大震災で少し遅れるが27年に施行される。(以下次号)

 ちば合同労組ニュース 第161号 2023年12月1日発行より