パレスチナ ジェノサイドを許すな

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パレスチナ ジェノサイドを許すな

封鎖で最悪の状況が続くガザ地区

 パレスチナは地中海に面し古代からアフリカとアジアをつなぐ交易の中心地だ。長くオスマン帝国に支配されたが、第1次世界大戦期は英国の委任統治領(植民地)となり、第2次大戦後の1948年にイスラエル建国が一方的に宣言された。
 直後の第1次中東戦争でガザ地区はエジプト管理下に。多数の難民が流入してガザ地区の人口は5倍に増えた。67年の第3次中東戦争でイスラエルに軍事占領され、以来数十年間、インフラや産業が破壊されたまま放置された。
 87年にインティファーダ(抵抗闘争)が始まる。子どもや若者たちが石を投げ、タイヤを燃やしてイスラエル軍に立ち向かった。最初の1年で2万人が逮捕され300人が死亡した。
 93年のオスロ合意後、ガザ地区はヨルダン川西岸地区とともに「自治区」になる。インティファーダから生まれたハマスは総選挙で05年に第1党になるが、米欧など国際社会が承認せず、07年以降、ガザ地区は封殺された。

天井のない監獄

 ガザ地区は南北約41㌔、幅5~8㌔の細長い地形。千葉駅~東京駅の距離で幅数㌔の長方形のイメージ。東京都23区の約6割の面積に人口222万人。世界で最も人口密度が高い場所の一つ。年齢中央値が18歳なので高校生や大学生ぐらいの若者が多い。
 10㍍前後の壁やフェンスで封鎖され、人や物の出入りが極端に制限されている。食料や燃料、日用品や医療品が慢性的に欠乏し、経済や生産活動は非常に停滞している。失業率は約5割だが、他の人も週1日だけの仕事などで体感の失業率は8割以上だ。
 08年、09年、12年、14年、21年、イスラエル軍は逃げ場のないガザ地区の人びとに激しい空爆や地上侵攻を行った。14年の死傷者は2千人を超え、家屋1万8千戸が破壊された。22年5月の空爆では民間人や子ども約2500人が死傷した。
 燃料欠乏で発電所は稼働せず1日10時間以上も停電。学校や病院、上下水道の機能も停止。工業や農業も停滞する。地下水の過剰な汲み上げで海水が地下水脈に侵入し塩分濃度が高く飲料水として使えない。下水処理施設も整備されず生活排水が海に流れて漁業も厳しい。
 唯一の〝財産〟としてパレスチナ人は教育熱心だが大半の若者は働く機会もない。生まれて一度もガザ地区が出たことがなく、壁の数百㍍まで近づけば狙撃され、検問所を強行突破すれば間違いなく射殺される。出入りできるのは外交官や国連関係者、ジャーナリストなどごく一部。
 「天井のない監獄」と形容されるが、上空も日常的に偵察ドローンが飛び回り、空爆の5分前に見知らぬ番号から「この地区を爆撃するので避難しろ」の電話、直後に無人攻撃機に空爆される。武装勢力を匿ったとの理由で学校や病院も攻撃される。

 この十数年、ガザ地区は本当に最悪の状況が続いてきた。イスラエル軍による地上侵攻、ジェノサイド(「集団の構成員に重大な肉体的、精神的な危害を加えることの意味)を許してはならない。強い関心と監視、声を上げ行動することが必要だ。

 ちば合同労組ニュース 第160号 2023年11月1日発行より