軍事費2倍でトマホーク配備に突き進む岸田政権

制度・政策

IMF条約の失効 東アジアで中距離核配備の動き

軍事費2倍でトマホーク配備に突き進む岸田政権

 日本政府が敵基地攻撃能力保有のため米国製トマホーク500発を購入検討との報道を目にした。トマホークは核弾頭も搭載可能な巡航ミサイルで1980年代に米軍が大量配備した。

80年代の核軍拡

  私が中学・高校生活を送った80年代は「新冷戦」と呼ばれた時代であった。62年に米ソの対立が核戦争の危機を招いた「キューバ危機」、その後の「緊張緩和(デタント)」を経て、70年代末から再び米ソは強い緊張関係に戻り核軍拡競争が激化した。
 79年にソ連がアフガニスタンに侵攻、米国にはタカ派の共和党レーガン政権が登場、ソ連を「悪の帝国」と非難して核戦争さえ辞さない言動で中性子爆弾製造の決定や、83年にはスターウォーズ計画(SDI)を提示した。
 これに対抗してソ連が欧州を標的にした中距離核ミサイルを配備すると、米国もまた欧州に核ミサイルを配備。米ソ両国にとって自国が標的ではない中距離核戦力の配備はハードルが低く際限のない核軍拡競争に。欧州を舞台に核戦争の脅威が高まった。
 そんな時代背景もあって83年に米国で「ザ・デイ・アフター」というテレビ映画が高視聴率を記録し、世界で話題となった。映画は、米ソ対立がエスカレートし、ワルシャワ条約機構軍が西ドイツに侵攻して全面核戦争が勃発。その後の世界を描いた。
 当時、核戦争後の世界を描いた作品は多かった。少年ジャンプ黄金期を支えた人気漫画『北斗の拳』は83年に連載開始。核戦争後の20世紀末を舞台に暴力が支配する弱肉強食の世界を描いた。
 宮崎駿監督の『未来少年コナン』や『風の谷のナウシカ』も核戦争後の世界を警鐘する設定であった。
 核戦争の脅威は今よりリアルで身近だった。世界中で反核運動が高揚したことも記憶に残っている。

核弾頭の標的に

 そんな時代、隣町に戦時中には東洋一と言われた軍事用送信所(依佐美送信所/愛知県刈谷市)があった。広大な田園地帯に250㍍の高さの鉄塔が8本立っていた。
 もともと旧日本海軍の潜水艦向けの送信所で真珠湾攻撃の時に「ニイタカヤマノボレ」の暗号電文を潜水艦に送ったそうだ。戦後は米軍に接収され、太平洋艦隊(第7艦隊)の潜水艦に送信していた。
 東西冷戦期、ソ連に照準を合わせた核弾頭を積んだ米潜水艦は太平洋の海底深くにじっと潜んでおり、通信には超長波の電波が必要でこの鉄塔が使われていたのだ。
 「第三次大戦が始まる時はソ連からICBMが飛んでくる。その第一目標がこの鉄塔である」――親や先生から聞かされた。核戦争の開始を潜水艦に知らせる送信所が最初の攻撃対象になるとの理屈だ。
 久しぶりに帰郷すると鉄塔は撤去されていた。ソ連崩壊後の93年に送信は停止となり、日本に返還されたとのこと。今は土台が遺産として残っている。
 当時は10代の多感な時期であったこともあり、一瞬の閃光と共に世界が終わる核戦争のイメージを持っていた。86年にチェルノブイリ原発事故が発生したことも、その思いを強くした。 
 この核軍拡競争の重圧にソ連は耐え切れず、85年にゴルバチョフ書記長が登場、「新思考外交」を掲げて大胆な軍縮交渉を提唱し、87年にレーガン政権との間で中距離核戦力(IMF)全廃条約を締結した。しかしソ連は体制を立て直すことができず、「ベルリンの壁」崩壊の激動の中、ゴルバチョフとブッシュ大統領が地中海のマルタ島で会談し、冷戦の終結を宣言。やがてソ連は崩壊した。

東アジアの核危機

 当時、INF全廃条約は「冷戦終結の象徴」と言われた。その条約が実は2019年8月、トランプ大統領のもとで失効した。米国は失効からわずか16日後に中距離ミサイルの発射実験を行い、東アジアに中距離核ミサイル配備の方針を打ち出した。
 配備先は日本が最有力であり、ロシアや中国が標的であることは明らか。これに対抗してロシアが中距離核の極東配備なども想定される。
 今年2月のウクライナ戦争開始後に安倍元首相が、米国の核兵器を共同で運用する「核共有」に言及したのは、背景を考えるときわめてシリアスな問題提起なのである。
 核共有と軍事費2倍、ミサイル配備――これは私たちの日常の感覚や生活を一変させる重大な問題ではないのか。岸田政権は「敵基地攻撃能力」を「反撃能力の保有」と言い換えて射程距離1千㌔以上のミサイルを1千発配備する議論を開始し、今後5年間の防衛費を15兆円増の40兆円にする方向で調整している。
 賃上げなど生きるための闘いと戦争反対の両輪を組合として取り組みたい。(S)

 ちば合同労組ニュース 第149号 2022年12月1日発行より